東京地方裁判所 昭和37年(レ)617号 判決 1963年7月20日
控訴人 高野多四郎
右訴訟代理人弁護士 和田良一
同 金山忠弘
右訴訟復代理人弁護士 大下慶郎
被控訴人 松井富士吉
右訴訟代理人弁護士 林信彦
右訴訟復代理人弁護士 玉田璋次郎
主文
1 原判決を取消す
2 被控訴人の控訴人に対する東京簡易裁判所昭和二六年(ユ)第二六五号土地明渡調停事件の調停調書に基く強制執行はこれを許さない。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
4 本件につき当庁が昭和三七年一一月一三日にした昭和三七年(モ)第一五、三五二号強制執行停止決定を認可する。
5 前項に限り仮に執行することができる。
事実
控訴代理人は、主文第一ないし第三項同旨の判決を求め、その請求の原因として、
一、被控訴人から控訴人に対する債務名義として東京簡易裁判所昭和二六年(ユ)第二六五号土地明渡調停事件の調停調書があり右調停調書には左記の趣旨の記載がある。
(一) 被控訴人はその所有の東京都文京区久堅町九〇番地の一四号宅地四七坪七合のうち道路に面した前側二八坪四合(本件土地)を控訴人に代金一坪当り一、八〇〇円総額五万一、一二〇円で売渡すこと。
(二) 前項代金の支払につき控訴人は昭和二六年八月二八日限り三万円、同年八月より昭和二七年三月まで八ヶ月間毎月末日限り三、〇〇〇円(但し最終回は端数金額のこと)に割賦してそれぞれ被控訴人の代理人石田寅雄に支払うこと。
(三) 被控訴人が前項割賦金の支払を引続き三回分怠つたときは被控訴人において(一)の売買契約を解除しうること。
(四) 右により売買契約が解除された場合は控訴人は地上木造木羽板トタン交葺平家建一棟建坪一三坪五合(本件家屋)を収去して、(一)記載の売買目的たる本件土地を被控訴人に明渡すこと。
二、控訴人は右調停調書において、定められた支払方法により被控訴人の代理人石田寅雄に昭和二六年八月八日本件土地売買代金のうち三万円を支払い、同月末日に支払うべき割賦金三、〇〇〇円を同年一〇月一一日に支払つたが、右割賦金九月分、一〇月分、一一月分の支払を遅滞し右石田から同年一二月一二日前記調停調書(三)により右売買契約解除の意思表示ならびに本件家屋収去土地明渡の催告をうけた。
三、しかしながら、右調停調書にもとずく本件家屋収去土地明渡の請求権は第一項(三)記載のように前記土地売買契約の有効な解除を前提条件として発生するものであるが、右調停調書の定めには控訴人が被控訴人に対し右土地売買代金支払の催告を前提としないで右売買契約を解除しうる旨の特約は存しない。ところが被控訴人は右の催告を前提としないで前記売買契約解除の意思表示をしたのであるから右の意思表示は無効である。
四、かりに右の意思表示が有効であるとしても、被控訴人の代理人石田寅雄は昭和二六年一二月三一日右契約解除の効力を失わしめることを控訴人と合意した。
しかして控訴人は同日右石田に対し遅滞していた割賦金残額一万二、〇〇〇円中六、〇〇〇円を支払うと共に延滞料名義で一、〇〇〇円を支払い、同年三月一日に六、〇〇〇円、同年四月二日に三、〇〇〇円、同年五月一二日に三、一五〇円をそれぞれ右石田に支払ひ、本件売買代金の支払を完済している。
五、かりに右の事実が認められないとしても次の理由により被控訴人が控訴人に対し本件土地売買契約の解除を主張し前記調停調書に基く強制執行により本件家屋収去土地明渡を求めるのは権利の濫用である。
(一) 控訴人は被控訴人の前記本件賃貸借契約解除の意思表示が到達した昭和二六年一二月一二日当時前述したように本件土地売買代金五万一、一二〇円中三万三、〇〇〇円を被控訴人に支払つており、その後前述したように右売買残代金を全額支払つている。なお、かりに被控訴人主張のような不払の事実があつたとしても、控訴人は被控訴人に対し、本件土地売買代金五万一、一二〇円中四万五、〇〇〇円を支払つているのである。
(二) 被控訴人は、訴外石田寅雄に本件調停の報酬として前記土地売買代金の半額を直接同訴外人において受領取得し、他の半額を被控訴人において取得する旨を約し、同代金のうち被控訴人の所得となるべき二万五、六〇〇円は前記調停の直後頃すでに訴外石田から支払をうけており、今更自己の取得となることもなく、訴外石田の放置していた同訴外人取得分の残代金の不払を理由に売買契約の解除を主張する利益がない。
(三) 被控訴人の代理人石田寅雄は控訴人に対し昭和二七年一二月一日以後右土地売買残金および本件土地に対する固定資産税の支払を催告せず放置していた。
(四) 控訴人と被控訴人との間で本件土地の固定資産税は被控訴人の負担とすることが約されていたが、右土地の固定資産税が前記調停によつて控訴人と同様に被控訴人から本件土地の隣接地を買受けた訴外苅部れんの所有地に課される固定資産税と区別されず、控訴人および訴外苅部の右固定資産税負担の割合は被控訴人から示されることになつていたが、被控訴人はこれを示さなかつた。
(五) 控訴人は戦前から本件土地上の被控訴人所有建物を賃借していたが昭和二〇年の戦災後控訴人は本件家屋を建築し引続き居住していたところ昭和二六年調停によつて本件土地を被控訴人から買受けるに至つたものである。控訴人にとつて本件土地はその生活の本拠を維持するために不可欠なものであるのに対し、被控訴人にはこれを使用すべき特別の必要はない。
(六) 被控訴人が最近に至り、控訴人に対し、本件家屋収去、本件土地明渡を求めるに至つたのは前記固定資産税の負担に関し控訴人と交渉を始めたことにあるのであつて、たまたまその交渉過程で一部代金支払の受領証がないことを知つて、にわかに調停による売買契約解除の効果を主張し約九年間続いた権利関係を破壊しようとして前記債務名義による強制執行をなし、本件土地の明渡を要求するのは許されない。
六、よつて控訴人は被控訴人に対し右調停調書の執行力の排除を求めるため、本訴請求に及んだ次第である。
と述べ
被控訴人の主張に対し
被控訴人主張の本件土地売買契約解除の停止条件撤回を否認する。かりにそのような停止条件付撤回があつたとしても、その種条件は相手方の地位を不安定ならしめるものであり本件土地についての固定資産税、売買残代金の各支払はいずれも停止条件とするのに親しまないものであるから同条件は無効である。
と述べ
立証として≪省略≫
被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求め、答弁および抗弁として、
原告主張の事実中一、二の事実はすべて認める被控訴人の本件土地売買契約解除の意思表示は昭和二六年一二月控訴人に対し、本件土地売買残代金の支払を催告したうえなしたものである。控訴人主張のような本件契約解除失効の合意をしたことはない。もつともその日控訴人の代理人石田寅雄が右契約解除の意思表示を停止条件付で撤回したことはある。すなわち、控訴人が被控訴人に対し、前記売買代金のうち昭和二六年一二月一二日現在で遅滞していた同年九、一〇月分を即日支払うこと、同年一一月分を昭和二七年一月末日限り、昭和二六年一二月分を昭和二七年二月末日限りそれぞれ同年一月分以降の前記調停条項に定められた割賦金の外に支払うこと、本件土地に対する昭和二六年八月一日以降の固定資産税を遅滞なく支払うこと、以上三条件を停止条件として前記売買契約の意思表示を撤回することとしたものである。ところが、控訴人は被控訴人に対し右約旨に反し昭和二六年一二月三一日六、〇〇〇円を即日支払い、翌二七年三月一日六、〇〇〇円を支払つたが、六、一二〇円および本件土地に対する固定資産税の支払がなされなかつたため、右停止条件は成就しなかつた。権利濫用の主張はこれを争う。
と述べ
立証として≪省略≫
理由
一、控訴人と被控訴人との間に控訴人主張の条項を含む債務名義が存すること、控訴人がその主張のとおり被控訴人に対する本件土地売買代金の一部支払を遅滞したため昭和三六年一二月一二日被控訴人の代理人石田寅雄から本件土地売買契約解除の意思表示をうけたことは当事者間に争がない。
二、右本件土地売買契約解除の意思表示が無効であるとの控訴人の主張について判断する。
前記のとおり当事者間に争のない本件調停調書記載の「控訴人が前項割賦金の支払を引続き三回以上怠つたときは、被控訴人に於て第一項の売買契約を解除しうること」の旨の文言は遅滞の売買代金支払の催告を要しないで、本件土地売買契約を解除しうる趣旨のものであると解されるからかりに被控訴人が控訴人に対し右の催告をしないで、本件土地売買契約解除の前記意思表示をしたとしても右の意思表示は有効であり、被控訴人の右主張は理由がない。
三、本件土地売買契約解除の失効約定ならびに同解除の意思表示撤回の合意に関する各主張について判断する。
被控訴人の代理人石田寅雄が昭和二六年一二月三一日控訴人に対し右土地売買契約解除の意思表示を停止条件付で撤回したことは被控訴人の主張するところであるが被控訴人またはその代理人が右売買契約解除の失効を約したことを認め得る証拠はない。そして、成立に争がない乙第二、第四号証原審証人石田寅雄の証言を総合すれば、被控訴人主張の右停止条件付撤回が認められ、甲第三号証および原審における被控訴人本人尋問の結果(第一回)中右認定に反する部分は控訴人が右条件付の意味を自己の有私に誤解していたものと思われるので反証となり得ないし、右のような停止条件を付することは特に相手方の地位を不安にするものとはいえないから右の停止条件付撤回は有効である。
四、そこで右撤回の条件が成就したか否かを判断する。
右売買残代金について控訴人が被控訴人に対し昭和二六年一二月三一日および翌二七年三月一日それぞれ六、〇〇〇円を支払つたことは当事者間に争がなく、控訴人は右の残代金を完済したと主張し、成立に争がない甲第三号証≪中略≫には控訴人が被控訴人の代理人石田寅雄に対し昭和三一年四月二日に三、〇〇〇円同年五月一二日に三、一五〇円をそれぞれ支払つた旨の供述および右の供述に副う記載がありこれに反して右支払を否定するようにみえる成立に争がない乙第四号証、原審証人石田寅雄の証言も、主として受領証が発行されていないことを根拠とするもので必ずしも反証として確実とはいえないが、そうかといつて、右各証拠のみでは未だ積極的に右支払の事実を認定するほどの心証を得られず、成立に争がない甲第八号証の「貴殿は右割賦金については支払はれたが」の旨の記載も当審証人林信彦の証言に照すと、右は控訴人の代理人林信彦が前記訴外石田の事務員訴外日浦の言を信じて記載したものであると認められ右の記載をもつて控訴人の主張を認めることは困難であり外に控訴人の右主張を認めるにたりる証拠はない。
したがつて、前記停止条件はついに成就しなかつたというの外はなく、昭和二七年三月末日の経過で前記土地売買契約解除の意思表示を撤回する効力は不発生に決したものというべきである。
権利濫用に関する控訴人の主張について判断する。
以上のとおり、本件土地売買契約は一旦有効に解除されたけれども、その後約八年を経過した後においてなお右契約解除の効力を主張し、前記調停調書を債務名義として、強制執行による本件家屋収去、本件土地明渡を求めるのは擁私の濫用であると判断する。すなわち、
(一) 成立に争がない甲第六号証、乙第四号証、原審における証人石田寅雄の証言によれば、被控訴人は本件調停において被控訴人の代理人であつた訴外石田寅雄にその報酬として本件土地売買代金のうち半額を与え、直接控訴人から受領させることを約し、被控訴人の所得とする本件土地売買代金の半額二万五、六〇〇円はすでに右訴外石田を通じて受領ずみであり、右訴外石田は昭和二七年三月以降現在までみずからは控訴人に対し本件売買残代金支払の催告ないし本件土地明渡の請求を全くしていないことが認められ、また控訴人の前記代金未払による訴外石田の前記約定報酬額の受領不足分について同訴外人から被控訴人に支払の督促をしたり、本件調停調書による権利の行使をはかつたりした形跡をみるべき証拠もない。そうとすれば、被控訴人としてはもはや実質的には右売買残代金の回収をはかるために本件土地売買契約解除の効力を私用し、右調停調書による強制執行をなすべき実質的利益は何ら存しない筈であり訴外石田としてもいつの間にか控訴人に対し前記売買残代金の支払請求をする意思を失い、一旦停止条件の不成就で発効しなかつた本件土地売買契約解除の意思表示撤回をそのまま放置し、あえてその解除の効力を維持主張する意図もなかつたものと思われる。このような判断は、前出甲第八号証ならびに当審における証人林信彦の証言によれば、たとえ誤りにせよ、訴外石田の法律事務所事務員も、また本件訴訟の代理人林信彦も当初調査の際本件土地売買代金は完済されていたと信じたことが認められることからも裏付けられる。
(二) 成立に争のない乙第二、第三号証≪中略≫を綜合すれば、控訴人は被控訴人に対し昭和二六年八月一日以降の本件土地の固定資産税を支払つていないが、右固定資産税の支払は本件調停の附帯条項にすぎず、本来は右の不払があつたからといつて本件調停調書を債務名義として強制執行をすることができない性質のものであり、ただ前記契約解除撤回の条件になつたので右債務名義との関係を生じたものであること、右解除撤回の条件となつた固定資産税額は比較的少額(被控訴代理人林信彦の計算によれば一、二六〇円)であること、また右固定資産税は本件土地の隣接地(所有者訴外苅部れん、本件調停により被控訴人から買受けたもの)と共通に課税されたため、本件土地に対する課税額を確定しえず、控訴人は被控訴人に対し被控訴人の負担すべき固定資産税額の確定を求めたのに拘らず、控訴人はなかなかこれに応ぜず、また昭和三三、四年ごろまで控訴人に対し右固定資産税金の請求もしなかつたこと、控訴人が右税金として昭和三三、四年ごろ一万円を昭和三三年ごろ二万円をそれぞれ被控訴人に提供したがいずれも受領を拒否されたこと、そして、被控訴人としてはすでに控訴人に売却済と思つていた本件土地についていつまでも固定資産税が被控訴人に課せられて来るので、それを解決しようとして訴外新島友司に相談し、同訴外人が強硬手段に訴えて多額の示談金を得ようとして多少の調査をしたところ、前記調停調書の存在ならびに控訴人における売買代金完済の受領書不存在が発見され、右訴外人を通じて別に訴訟代理人が選任されて昭和三六年に至り本件調書に基く強制執行が開始されるに至つたことが認められ、この認定に一部反する甲第五、第六号証、原審における証人新島正司の証言、被控訴人本人尋問の結果は前出証拠との対照上採用し得ない。
右認定事実によれば、本件売買契約の解除を持出して強制執行の挙に出でたのは、僅少の固定資産税負担の問題に発端があり、その間約八年間被控訴人もその訴訟代理人石田弁護士も本件調停調書に基く強制執行を念頭においておらずもとより、売買残代金の存在ならびに売買契約解除の効力には確信をもつていなかつたものと推察される。
(三) そうだとすれば、多年にわたり不問に付されていた約一割強の残代金の不払、しかもそれは実質的には被控訴人の利益に属さないものを問題とし、計算の不明確なままに堆積した僅少の固定資産税の負担を理由とし、被控訴人が本件土地売買契約解除の効力を主張するのは不当な利益追求を目的とする権利の行使であつて社会性に反し権利の濫用として許されないものといわなければならない。
五、したがつて、本件調停における土地売買契約解除の無効を主張し、そのことを前提とする本件調停調書執行力の排除を求める控訴人の異議は正当とすべきであつて、これを棄却した原判決は失当であるからこれを取消し、改めて控訴人の異議を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第八九条を、強制執行停止決定の認可ならびにその仮執行宣言につき民事調停法第一六条民事訴訟法第五六〇条第五四八条第一項第二項を適用して主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 畔上英治 裁判官 輸湖公寛 竹重誠夫)